1987 | 松田、合奏コンクールで大太鼓担当。課題曲アタマの「どン♪」で早くもハシる。 | |
1988 | 松田、初めて買っ(てもらっ)たCD、『天空の城ラピュタ・サウンドトラック』を聴きながらガンプラ作りに勤しむ。
平林、転校する際の寄せ書きに 「新しい学校では突然歌い始めて頭がおかしいと思われないようにしてください。」 と書かれる。 |
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1989 | 松田、兄からもらったブルーハーツのテープを聴く。 感動。 平林、学校では歌謡曲が流行るが、テレビ等はあまりみない生活をしていたので完全に取り残される。 ひねくれる。 これ以降もなんとなく歌謡番組は見る習慣がない。 |
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1990 | 松田、公称『初めて買ったCD』、ブルーハーツ「Bust
Waste Hip」を入手。聴く。 松田はこの頃からギターをいじり始める。 ナイロン弦のアコースティックギターにも関わらず、全てコード弾きのまま現在にいたる。 平林、友達が歌っていた花瓶に水をあげる曲をいい曲だと思う。 当然曲名、歌手等はわからなかった。 10年後にカバーするとは思いもよらず。(「情熱の薔薇」ブルーハーツ) |
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1991 | 日田と平林出会う。 日田の平林に対する印象は「『さわやか三組』にでも出てきそうなチビだ。」 平林の日田に対する印象は、「こいつはそこそこ人がよさそうだ。くみ易し。」 二人は仲良くなり共に野球部への入部を考えるが、練習を見に行ってあまりのランニングの多さに即中止。 バドミントン部への入部を決める。 音楽との出会いは特にないが、日田は平林にフォークグループ「チューリップ」のテープをあげた。 平林のfavorite groupはサイモン&ガーファンクル。 |
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1992 | 日田はそのバドミントン部さえも続かずゲームセンターに入り浸る。 日田に操られるゲームキャラはメキメキ強くなる。日田自身はちょっと手先が器用になる。 「ゲーセンの機械が貯金箱だったら最高なのに。」と思う日々。 一方、平林は真面目な練習でレギュラーの座を勝ち取る。 |
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1993 | 日田はアルバムCDを人生で初めて自費で購入。それはDeep
Purpleの「Deepest Purple」であった。 この頃日田バドミントン部に復活。 |
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1994 | 平林Queenの「オペラ座の夜」を購入。 日田より一年遅いCD自費購入デビュー。 一方、日田は高校入学祝いを元にギターを購入。バンドを結成する。 最初の曲はDeep Purpleの「Smoke on the water」。しかしソロは弾けず。(今も弾けず。) これ以降日田はヘビーメタル道(ソロ不可)を走る。(メタリカ最高) この頃、松田は家で一人ブルーハーツの曲や歌謡曲をアコースティックギターで弾き語っていた。 「演歌の進行はいいなあ」 |
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1995
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ある日、日田と平林が、駿台@御茶ノ水に登校途中に、今は亡き「Discmap」に入ると、店内にはハイスタンダードの「Waiting
for the Sun」が流れていた。(当時は曲名等知らず。)おおきな感銘を受け、興奮気味だった二人は店員さんに「この曲入ってるCDどれすか?」と尋ねて即購入。Fat
Wreck ChordsのCompilation CDであった。安かった。 このころから松田のレパートリーにハイロウズと奥田民生が加わる。 また、所属している水泳部では、シンクロナイズドスイミングを敢行。男だけ。 近年この水泳部をモデルにした映画が公開された。(ウォーターボーイズ) |
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1996 | Sex Pistols再結成により、メディアでSex
Pistolsが頻繁に取り上げられるようになる。 平林はそこで耳にした「Anarchy In the U.K.」を大好きになる。 一方、人生において初のライブ体験であった、大宮ソニックシティーでのExtremeのライブは、 日田、平林両人をして「金額の割に退屈」と思わしめるものだった。 ライブってなんなのだと思う。 |
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1997 | ハイスタンダードは日本人であることを知る。 そしてハイスタも出演するFat Wreck Chords Specialと題されたライブが赤坂ブリッツで行われることを新聞広告で知り日田、平林はチケットを購入。Extremeの時の半額以下。整理番号は38,39。 最初のGerman punk band「WIZO」の演奏が始まった瞬間、 二人は天啓を受ける。 パンクロックをやることを決意。 初モッシュ。演奏する側も聞く側も最高に楽しかったと思う。 ハイスタンダードのMC 「今度出るアルバムは『Angry Fist』って言います。怒りの鉄拳って意味なんですけど、あの、でも暴力とかそういうんじゃなくって…」 が印象に残る。 平林は大学生になり、ベースを始める。 日田、松田は余裕で浪人に。 |
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1998 | 日田と松田が大学生に。 大学の音楽サークルF研の新歓コンパで日田と松田が出会う。 当時まだドラム経験が無かった松田に対して日田は、 「体でかいからドラムやれよ!」と言い放ち、無責任にもドラムを薦める。 日田 「リズム感つくから、ギターにも役立つよ」 松田 「そんなもんかな」 松田あっさりドラムを始める。「8ビートはいいなあ」 |
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1999 | 日田、松田、嶋村、平林の4人でRancidのコピーバンドを組む。 この時日田は初めてギターボーカルを担当し、 「これがやりたかったんだ。」 と思う。 これ以降「ギターを弾きながら歌っているのか、歌いながらギターを弾いているのか分らなくなる。」 6月、日田、松田、平林の3人はオリジナルバンドを結成。 初めての練習が行われる。 このとき「神様はパンクが好き。」が作られる。 以後「Radical Reaction」「クーリングオフ」「どもめ」を作る。 そして11月初ライブ。 バンド名は日田によって勝手に「葉隠」に決められていた。 事後承諾にした理由は「平林に言ったら反対されそうだったから。」 |
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